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大炊御門 家信(おおいみかど いえのぶ)は南北朝時代の公卿。正二位権大納言。父は内大臣大炊御門冬氏、母は権大納言吉田経長の娘。子は正二位権大納言に至った経嗣がいる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 正中2年(1325年)4月2日、叙爵。嘉暦3年(1328年)6月13日、従五位上に昇叙。元徳元年(1329年)9月26日、正五位下に昇叙。元徳2年(1330年)7月17日、侍従に任ぜられる。11月7日、従四位下に昇叙。元徳3年/元弘元年(1331年)1月13日、右少将に任ぜられる。元弘2年/正慶元年(1332年)1月5日、従四位上に昇叙。4月21日、左中将に転任。元弘3年/正慶2年(1333年)6月、従四位上と左中将を停止され、従四位下右少将に戻される。10月8日、禁色を許される。元弘4年(1334年)1月5日、従四位上に昇叙され、13日には近江権介を兼ねる。建武2年(1335年)5月23日、正四位下に昇叙。暦応2年/延元4年(1339年)11月1日、左中将に転任。 暦応4年/興国2年(1341年)4月12日、従三位に叙される。貞和3年/正平2年(1347年)9月16日、参議に任ぜられ、改めて左中将を兼ねる。貞和4年/正平3年(1348年)3月20日、越前権守を兼ねる。貞和5年/正平4年(1349年)1月5日、正三位に昇叙。同年9月13日、権中納言に任ぜられる。観応元年/正平5年6月28日(1350年8月1日)、兄冬信が薨去。観応2年/正平6年(1351年)6月26日、中納言に転正。文和3年/正平9年(1354年)1月6日、従二位に昇叙。延文3年/正平13年(1358年)1月6日、正二位に昇叙。 延文4年/正平14年(1359年)3月25日、権大納言に任ぜられる〔家信が権大納言に任ぜられた背景には、兄冬信が幼い宗実を残して早世したことが関係していると考えられる。しかも、異母兄氏忠は当時まだ健在だったのである。〕。延文5年/正平15年(1360年)4月16日、権大納言を辞退〔奏慶を済ませず権大納言を辞した。〕。貞治5年/正平21年(1366年)3月16日、出家。法名は空覚。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大炊御門家信 (南北朝時代の公卿)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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